今更ながら、エーステ冬組単独公演のレポ・感想を書いておく。
本来ならば5月の東京公演を皮切りに、兵庫、香川、凱旋公演と続くはずだった。しかし、新型コロナウイルスの影響で、一度は全公演中止となった。しかし、その後8月に上演が決定。東京のみで全11公演、その全てを配信に対応するという形で上演された冬単は、この状況で現地に行くことを諦めた人でも、チケットが取れなくても、たくさんの公演を映像で観ることができ、幻とならずに多くの人の心に残る公演となったことだろう。
かくいう私もその一人であり、本来ならば元の日程では1回だけ観劇できるはずであったが、延期後の日程では断念せざるを得なかった。しかし、配信があることにより約10公演(仕事の後に途中から見たりしたため"約")を観ることができた。それは本当にありがたいことではあるが、私はエーステの中でも特に今回の冬単を非常に楽しみにしていたので、やはり生で観られなかったという悔しさは未だに言葉にできないものがある。
ただ、色々な意味で思うところがたくさんあった公演であることは間違いないので、その感想をしっかり残しておきたいと思う。
あくまでも、私個人が感じたことを正直に色々と書いているもので、特に一幕と、有栖川誉さんに関しての言及が非常に多い感想となっています。
※原作(アプリ)のストーリーの内容、舞台のネタバレを多分に含みます。ご注意ください。
▼プロローグ〜♪Brand new world
紬と丞が深刻な顔で言い合いをし、何やら不穏な空気から始まる冒頭。秋冬公演の冬組を思い起こさせる。
丞?「何とか言えよ…ひろゆき!」
しかし、それは2人による街中でのエチュードだった、というオチ。
東「みんなで飲みに行く予定だったんだけど2人がストリートアクト始めちゃったんだ。」
既になんだか仲が良さそうな冬組。秋冬公演でのお酒を交えた打ち上げシーンはカットされたため、今回はお酒エピソードがあるのかもしれない。「ごはんは?」とマシュマロ以外の物を欲している密に驚き。ステ密は他の食べ物にも興味を持つのだろうか?
せっかくなら監督に見ててもらおうよ、と再びストリートACTを始める紬と丞。こうなっては仕方がないね、と付き合う冬組。
紬「俺たちの芝居、ちゃんと見ててくださいね、監督!」
ここで始まる『Brand new world』は、各組の単独公演で同じ曲のアレンジ違いが使われており、冬組はキラキラと雪が輝くような、しっとりめのアレンジになっている。
各組で歌詞が違う部分は特に《星の降りそうな夜 相合い傘をしよう》で傘を描くような振り付けをするところが好き。
《大人同士ひねくれた距離 飲みながら語り明かそう》と歌う通り、冬組は唯一メンバー全員が成人している組なので、飲み会は冬組の特権。秋冬公演ではやらなかったのでそこにも期待したい。
《打ち明ける心はblooming 大切な人》は、正に冬組の関係性を表していて、メンバーそれぞれのエピソードの肝となっている部分。
一番が終わると、今回のサポートメンバーのパートになる。春組からは綴とシトロン、夏組からは一成、秋組からは臣、そして支配人。他の組と違い、水野や円といった、今回のメインとなるキャラクター達に密接に絡むゲストがまだ出てこないのが、冬組の特徴とも言える。
《トラブルさえ味方に変えてく楽しさをBrand new world》は、中止になる前からこの歌詞だったのだろうか。この状況下において痛いほど実感する歌詞。
最後、アウトロに合わせてみんなが捌けていき、紬と丞が扉を閉めて出ていくところがなんだかとっても好きで、毎回ウキウキしていた。中央にある扉はエーステお決まりのセットなので、久しぶりに観られて嬉しかった。
今回の冬単では、演者が全員マウスガードをつけていたのだけど、色々なところで使われている物とは違い、エーステのスタッフにより工夫して作られたオリジナルだそうだ。他の物より本当にクリアに顔が見えて、つけているのが気にならないくらいの存在感だったのですごいなと思った。
▼朝の寮内〜誉の荷物整理
朝早く、支配人が眠たそうに歩いてきて監督と話し出す。春、夏、秋と、それぞれの組の公演を終えてここまできたことに感慨深くなっているようだ。
支「冬が終わり、また春が来る。そうやって、ずっと僕たちと一緒に……!」
しんみりと良いことを言おうとしていると、ピンポーン、と玄関の呼び鈴が鳴る。
支「まったく、こんな朝早くに誰なんですかね?」
玄関に向かう支配人と入れ替わりで、可愛らしい音楽と共に、一幕の主役である誉が出てくる。
誉「おはようバード、グッドモーニング小鳥さん、サンサンフランシスコでカーニバル!」
誉のポエムにチュンチュンと頷いているかのような小鳥。会話しているのかな?でっかいディ○ニープリンセスみたいだ…。
「♪美しい朝日のサプライズ さえずるバード達のシンフォニー」
爽やかな音楽に合わせて歌う楽しそうな誉。エーステ名物(?)雑な食べ物の扱いはここでも健在で、ベーコンエッグを手で直持ちしていて笑ってしまった。
そのままインストに合わせて、支配人が荷物を抱えて入ってくる。どうやら、誉の実家から送られてきたものが大量にあるらしい。
みんなで手分けして運んでくれたまえ!と提案する誉と、何で俺達が…と渋る丞。
誉「ワタシ1人じゃとても持ちきれないからね?」
そう言って座ったまま、どうしてワタシが持つんだい?とでも言いたげな誉。少しくらい持つのかと思ってたら全然持つ気がなくて笑った。お坊ちゃんらしさがよく出ている。
♪理解不能
「♪誉の思考は理解不能 天才 変人 奇想天外 唯一無二」
「♪いつまで経っても理解不能 天才?天然?朝からハイテンション」
誉以外の四人が歌い、それに合わせて愉快なステップで楽しそうに踊る。’’他人が誰かを評価している’’が好きなので、最初は可愛いと思ったけど、ここまでメンバーに’’理解不能’’と連呼させるのは少し違和感がある気もする。
まあ、この時点で冬組はまだお互いを完全に理解できているわけではないし、初見のためにここで誉が何を考えているのかわからないことを印象付ける必要があったのかもしれない。
運ばれてきた段ボールの中からは、色々な物が出てくる。民族風の置物や瓢箪のようなもの、新体操のリボン?など、いつ何に使ったのかよくわからないものがたくさん。日替わりでタスクに渡すものは、原作にも出てきた小石、もしくはオモチャのアヒルだった。
曲が終わり、東が小箱に入った懐中時計を見つける。
この時計は、何度時間を合わせても時間が狂ってしまう、だけどこれはこのままでいいのだ、という誉。少し何か物思いに耽っている様子だったが、なんでもない、朝練に間に合わないよ!と荷物を運ぶことように急かす。「マシュマロあげないよ!」と密も動かす。手馴れている。
▼台本完成〜読み合わせ稽古
場面転換後、綴が布団と枕と完成した台本を持って出てきて、倒れる。臣がそれを見つけ、心配して綴に近寄ろうとすると、
一「触らないで〜!指紋つくから〜!」
シ「離れるヨ!離れるヨ!!」
と、何やら手袋とメガネを装着して一成とシトロンが登場。「ソーシャルディスターンス♪」と言いながら時事ネタも交えコミカルなやりとりを始める二人。
次の冬組公演がミステリーなので、探偵をやりたくなったという二人。探偵というより警察みたい。そしてなぜかシトロンに事情聴取をされる臣。
シ「名前は?」
臣「? 伏見臣です。」
シ「血液型は?」
臣「O型。」
シ「体格は?」
臣「……え?」
シ「体格だヨ!体格!おー?おお?」
臣「……大型!」
シ「小型には見えないネ!」
途中で気づいてニッコリする臣くんが優しくて可愛い。公演の後半ではジェスチャーゲームで「クワガタだヨ!」というのも追加。
なんやかんやで綴の懐から台本を見つける探偵二人。
シ「死者からのダイイングメッセージネ!」
「台本っす!」と起きる綴。ドラマの殺人現場でよく見る紐で囲われていたり、顔に番号の札が乗せられていたりして、あーもう!と苛立っている。
綴「早くそれを監督に届けて!」
一「え?鑑識に届けて?」
綴「監督っす…」
まだ眠気が取れず立ったまま寝てしまう綴を臣くんがキャッチ。賑やかな探偵が去ったあと、臣くんが「おやすみ。」と言いながら抱えて部屋まで運んでいった。お父さんだ…。
▼稽古初日
配役決めのシーンはカットで、読み合わせからスタート。
誉「この度主演に抜!擢!された!有栖川誉です。」
丞「抜擢って…自分で立候補したんだろ」と相変わらず手厳しい丞。
座長となる有栖川さんから何かありますか?と支配人。
誉「主演として、これだけは伝えたい!……謎に満ちたミステリー。揺れ動くオーソリティー。ロマンスのパフュームに……ダイビング!」
公演の途中からダイビングがセルフエコーするパターンに。
ご満悦な表情で微笑んで一礼し、無言で席に戻る誉。
丞「なんだったんだ今の?!」
早速台本の読み合わせに取り掛かる5人。ト書きは支配人が読んでくれる。エーステでは監督が口を挟まない分、支配人がとても働き者に見える。
ここで、皆が読む台詞から、既に原作の公演の内容から大きく改変されているらしいことが、ストーリーを知っている観客にはわかる。
読み合わせの際に、積極的にアドリブを挟んでいくのが丞らしくて良かった。旗揚げ公演とは比べものにならないくらい稽古はスムーズに行われている。
読み合わせが終わり、監督が話せない(観客=監督なので)代わりに、紬が色々とアドバイスしてくれる。一方、アドリブを挟みすぎだと密から文句を言われる丞。
丞「悪い、つい色々試したくなって」
こういう丞の演劇バカな部分が見えるところはとても良い。無意識かもしれないが、丞なりにチームを引っ張って行こうという自然な計らいにも思える。
しかし、誉の演技に違和感を覚えている他メンバー達。異様にテンションが高く、オーバーリアクションといった感じだ。
有栖川家には執事や使用人がたくさんいるはずだが、それらを参考にしようとは考えたりしなかったのだろうか?とも思ったが、この時点では鷹尾は出てきていないので、変わり者の執事がたくさんいるという憶測の範囲内に収めることもできるかなと思った。
誉「何度脚本を読んでも、鷺島がどうして志岐に仕えているのか、何を考えているのかわからないのだ。」
秋冬公演で、他人の心情を理解することができない、’’壊れたサイボーグ’’だと言われたことがあると監督に吐露した誉。今回も、鷺島を演じるにあたり、それがネックになっているようだ。
まだ時間はあるのでゆっくり詰めていきましょうという紬。誉は一人、物憂げな表情で稽古場に残る。
▼幼少期の誉とおばあさま
ここでシーンは、誉の幼少期の回想へと移り変わる。
幼誉「おばあさま、お茶の支度が…あっ!」
姿形はそのままだが、声色と仕草で幼少期の誉を演じる田中くん。
つまづいて、テーブルの上にある懐中時計を引っ掛けて落としてしまう。
幼誉「どうしよう、壊れてしまいました…」
困った顔で泣きそうな声を出す誉が、本当に子どもに見えてきて切ない。
スクリーンにシルエットは映っているが、監督と同じホワワン…という効果音スタイルで返事をするおばあさま。ここは原作をプレイしていないとちょっと補完が難しい気がするので、台詞があっても良かったのでは…?と感じた。
幼誉「でもこの時計、時間が狂っています」
返答するおばあさま。
幼誉「では、新しいものに取り替えては?壊れた時計など意味がありません。」
誉の、いわゆる『合理的な思考』がこの頃から健在であることがわかる。その言葉に思うところがあったのか、そっぽを向き、何か言うおばあさま。
幼誉「ワタシがこの時計と同じ?…それはどういう意味ですか?」
何か言い、去ろうとするおばあさま。
幼誉「必要……ない……?」
本当にホワワンしか情報が無いので、ここでわかるのは『以前から時間が狂っている時計がある。誉はこの壊れた時計と同じだ、そしてその時計は必要ないものである』ということになる。
ひどいことを言われているようだが、全容を知っていれば後からわかる仕掛けになってはいる。しかしこの演出では、これは誉も勘違いしても仕方ないな…と思えるほど情報が少ない。
誉が「自分は必要ないものなのだ」と勘違いしたキーポイントとなる、原作のおばあさまの台詞を補完するとこうなる。
幼誉「どうしよう、壊れてしまいました…」
(祖母:お見せなさい。問題ありません。傷もついていないわ。)
幼誉「でもこの時計、時間が狂っています」
(祖母:その時計はいつも栄さん(祖父)が直してくれたのです。いなくなってしまったからもう直せません。)
幼誉「では、新しいのに取り替えては?壊れた時計など、意味がありません。」
(祖母:……。あなたもその時計と同じね。)
幼誉「ワタシがこの時計と同じ?…それはどういう意味ですか?」
(祖母:ーー。もう私には必要ありません。あなたに差し上げます。)
幼誉「必要……ない……?」
この"もう私には"必要ない壊れた時計を誉にあげた、という部分が非常に鍵となっているところだと思っていたので、そこが描写されないのは大変勿体なく感じる。
回想から現在の誉へ移り変わる。
「ワタシはこの時計と同じ、壊れた機械仕掛けの時計……壊れた……サイボーグ……。」
「こんなワタシに役の心情を理解することなど…」
うーーん。回想をホワワンにするなら、いくらなんでも誉のモノローグを端折りすぎでは…?と感じてしまった。ここで細かく心情を説明するのかと思ったのだが。なんならソロ曲を入れるならここだろうと思っていたけど、それも違った。
今回の一幕にあたる原作のストーリーでは、’’誉がどのようにして役の心情を、そして他人の心を理解するのか’’ということがフォーカスされている。
原作のモノローグでは、誉が勘違いしているポイントと、なぜ誉が人の心情を理解できずに苦しんでいるのかが細かく描写される。
(おばあさまはきっと、ワタシが壊れた機械仕掛けの時計と同じと言いたかったのだろう)
(彼女に言われた壊れたサイボーグという言葉と同じ。人の気持ちがわからない機械のようだと……)
(いつも人はワタシから離れていってしまう。おばあさまに捨てられたこの時計と同じように)
(人の気持ちがわからず傷つけてしまうワタシはやはり、生まれた時から欠陥品なのだ)
誉は「壊れた時計など意味がない、必要がない」と考えていて、それと同じと言われたことで、自分が必要のないものだと言われたと思ってしまっている。
そして、誉は人の気持ちを理解できない自分を『欠陥品』と思い込んでいることがここでわかる。それには、『いつも人が自分から離れていってしまう』という実体験が伴っている。
誉の周りから人が離れてしまうのは、相手の理解不足もあったかもしれないのに、"自分が相手の感情がわからず傷つけてしまう欠陥品だから" としか思っていることが、舞台ではわからない。これを知っていると、冒頭の『理解不能』もかなり切なくなってしまった。
おばあさまに『壊れた機械仕掛けの時計と同じ』と言われたことがトリガーになり、元恋人に『あなたは壊れたサイボーグ』と言われ、決定的なトラウマとなる。この流れと、誉の気持ちの背景をきちんと説明してほしかったなと私は思った。
『A3!』の世界で主演をやるということは、そのストーリー上の主人公と同義と言ってもいい。一幕ではそれが誉にあたるので、とても楽しみにしていたシーンでもあったのだが、そもそも『元恋人に壊れたサイボーグと言われた』というエピソードのことは、秋冬公演でも一切言及されておらず、今のところ無かった存在になっていることに後から気づいた。細かい省略がこういうところに影響が出るのか…と思った。
▼中庭で探偵ごっこ
一人悩みながら歩く誉に、突如スケボーに乗ったシトロンに追いかけられている綴が突撃する。転倒し、危ないではないか!と少し怒る誉。
ここで、客席からは懐中時計を落としていることがわかるが、誉は気づいていない。
次の冬組公演でミステリーをやるので、探偵ごっこがしたくなったと言うシトロンと一成。
綴「なんで俺が犯人役なんですか!」
シ「とぼけるなヨ!今日は誰のデニム盗んだネ?!」
綴「盗んでないっすよ!」
相変わらずめちゃくちゃにされている綴。エーステの綴のいじられ方は、みんなに愛されているのがとてもよくわかるが、ツッコミが本当に大変そう。
「なにしてるの?」と突然階段の隙間から出てくる密。それにさらに驚く誉。何してるの?と聞かれて「昼寝。」と答える相変わらずの密。
探偵役を楽しみにしていると言われた誉だが、「うむ、ありがとう…」と言葉少なに去ってしまう。
綴「なんか…有栖川さん、元気ないっすね…」
一「そう?いつも通りじゃね?」
まだ探偵ごっこを続けるシトロン。
「探偵といえばメガネに、スケボーに乗ってるヨ〜!!」とスケボーで階段の方に突撃する。が、密が不自然な動きで走ってきて衝突しかける。
「ごめん、転んだ…」
運動神経の良い密らしくない動きに、不思議に思う3人。
▼立ち稽古
後日、立ち稽古のシーン。
なんだかぼんやりしている様子の密。
『志岐さま。志岐さま、庭のシクラメンが綺麗に咲いております。シクラメンの花言葉はご存知で。』
なんと、誉の演技がまるで感情の無いロボットのように変化している。いくらなんでもそんな極端な…と思ったが、これが誉なりの感情の抑え方なのかと思うと本当に不器用な人なんだな…と感じる。
ひとまず、それには触れずに動きをつけた稽古がすすんでいくが、執事役の誉が主人役である密の後ろに立つと、なぜか密が逃げるように動いてしまう。
それを繰り返し、ドタバタと追いかけっこのようになってしまう二人。
丞「待て待て!一体どういう演技プランなんだ?!草薙嬢はどこにいる設定なんだ?!」
これを演技プランと捉えてくれる丞は優しいと思う。
どうも、密は誉が後ろに立つと動きがおかしくなってしまうようだ。
誉「ワタシが近くにいると、何か困ることでもあるのかね?」
密「そんなことない…!」
何かを弁解するような口調の密だが、みんなその理由はわからない。
みんな違和感を覚えながらも解決策が見つからないので、この件は一旦そのままに。
紬「うーん、執事っぽさは増したとは思いますが、少し無機質というか」
誉「ふむ、無機質すぎてもダメか…。」
試行錯誤している様子の誉。まだ感情表現のすり合わせができていないようだ。
そうこうしていると、誉が急にあたふたとその場で何かを探し出す。
誉「ム…?ムム?!はっ!?ムム!!はっ!!」
丞「うるさい!!どうしたんだ?!」
誉「無い!!」
丞「え?」
誉「クリスティーヌが無い!!」
なんと、ポケットに入れていたはずの懐中時計(クリスティーヌという名前をつけている)を無くしてしまったという誉。
「どこかに落としたとか?」と言われた後、「ひえ…!」みたいな「ふぇ…」みたいな声を出すのだが、一瞬子どもに戻ってしまったようなリアクションが非常に良かった。胸が締め付けられる。
そして、とうとう「誰かに盗まれたのだよ!!」と突拍子もない結論に辿り着く誉。
そんなわけない、と制するみんなだが、それを聞かずにあっという間に自分の世界に入ってしまう。
「これは事件だ。ミステリーだ!!」
♪名探偵!有栖川誉
誉「♪ミミミミ ミステリ謎が謎を呼ぶ サササササスペンス 消えた時計」
イントロの時点でおや?と思ったのだが、これは秋冬公演のソロ曲『まごころルーペ』と同じメロディの、歌詞変えアレンジ。
同じ曲か……。そしてここでソロを挟んでくるのか。楽しそうな誉を見ているとほっこりするが、正直たっぷり時間を使ってほしい場面はここでは無かったな、と思ってしまう。
「サスペンス」でフェンシングのような振り付けをするのは可愛い。『刺す』とかかっている感じ。背景には、名探偵コ〇ンや金田〇少年の事件簿、ガリ〇オなどのパロディをふんだんに盛り込んだ映像が使われている。スレスレ。
曲と共に場面が進行していく。
今回疑われているのは、支配人、綴、一成、シトロンの4人。
誉「支配人!キミはお金に困っているね!」
原作と同じ理由で怪しまれる支配人。迷惑かけて悪いな、というようなジェスチャーをする丞。
誉「綴くんのような地味な人間が犯人というのはミステリーの鉄則だ!」
ただの悪口。推理に飽きた丞がストレッチを始める。
誉「一成くん!キミは手先が器用だ。怪盗の素質がある!」
一「やべ〜…褒められちった☆」
とっても優しくてポジティブな一成のリアクションに救われた気持ちになる。
誉「そしてシトロンくん!キミは存在自体が……怪しすぎる!」
シ「ヒドイ!ヒドイヨ!ぜんざい(冤罪)だヨ〜〜!!」
困り顔というより、ちょっと楽しそうなシトロン。
疑われるメンツは、支配人以外は原作と異なるが、ステのサポートメンバー達は、みんな疑いをかけられてもどちらかというと許してくれそうな人達で良かったなと私は思った。
そもそも’’自分の物がなくなったので、人に盗みの疑いをかける’’という発想自体が、根本的に失礼な行為である。それをやってしまっている誉というのが、表情や動きがよく見えるステでは特に生々しく、まごころルーペの際の一悶着再来とまでは言わないが、いたたまれない気持ちになった。団員によっては、疑われた時点で気分を害して怒る人もいただろう。人選に救われたなと思った。
そして、曲中に支配人が「そもそもその時計、壊れてたんですよね?そんなもの欲しがる人なんていないんじゃ?」と指摘する。
うむ、と少し戸惑った誉だがそのまま曲は続き、「どうやら犯人は見つからないようです、有栖川誉でした〜…」と若干古畑任三郎風味な言い方で締める。
ここも、’’壊れたものなどいらない’’という言葉は、本来誉にとってはかなりの地雷なはずなので、もう少しリアクション重視で進めてほしかった。誉にとって、その時計がどういう意味を持つのかという重要性が少し見えにくく感じてしまう。
突然、時計は諦めると言い出した誉に驚く一同。
誉「すまないね、密くんの探偵役を見ていたら、ワタシもやってみたくなったのだ。それに、あれは元々不要なものだから…」
そう言って、笑ってはいるが少し元気無く去っていく誉。
その様子を見た紬が時計を探すと言い、みんなも寮内を探してくれることに。誉はああ言ったが、本当は大切にしているものなのだと気づいてくれたのかもしれない。
そしてその場にいた密が、何か思うところがあるような素振りでこちらを向く。
密「ねえ、監督…!」と問いかけ、暗転。
▼談話室で写真整理
場面が変わり、紬が談話室にやって来ると、臣がパソコンを開いて写真の整理をしていた。完全舞台オリジナルのシーン。
時計のことで元気がないのかもしれないと、無くした時計と誉のことを心配してくれる臣くん。
紬「あ、でも大丈夫!本番は必ず成功させるから!」
臣「あはは…何も心配してませんよ。冬組は、皆さん大人ですから。」
紬「大人か…。だからこそ、難しいんだけどね…」
とバツが悪そうにつぶやく紬。
ふとパソコンの画面を見ると、そこには各組で撮った写真が映し出されていたようだ。
紬「こうして見ると、それぞれの組で全く色が違うね。春組のあたたかい色、夏組のにぎやかな色、秋組の熱い色。冬組の距離感って……」
少し思うところがあるような様子の紬。
’’冬組の距離’’というテーマは、原作では特に第3回公演の『真夜中の住人』のストーリーにおいて大きく扱われているが、今回の冬単ではこの’’距離感’’というテーマが、一幕二幕全体を通して重要なポイントとされている。
臣と別れ、部屋に戻ろうとする紬。すると、目の前に密が現れる。どうしたの?と聞くと、なんでもない、と足早に去る姿を見て不思議そうに首を傾げる。
▼本番14日前、稽古場〜誉の悩み
密が変な動きをするのが相変わらず直らない。どうもそれは、誉が後ろに立つと起きるようだ。
誉「何か隠し事でもあるのかい?」
丞「そんなわけないだろ!!」
なぜか急に大声を出し、不自然に密を庇うような丞。原作には無いシーンだが、ここで何かしらの事情を丞が知っているのだろうな、ということが窺える。
誉「どうしたのかね急に…まさか!2人のどちらかが、懐中時計を盗んだとか…!?」
東「ダメだよ誉、根拠もないのに相手を疑うとどうなるか、旗揚げ公演でわかったでしょ?」
旗揚げ公演で根拠も無いのに人を疑い始めたのは、どちらかというと別の二人なのだけど…。なんだかトゲのある言い回し。でも確かに再び疑い始めるのもどうかと思う。無駄にギスギスを思い起こさせるオリジナルシーンだな…。
とりあえず、「動きに関しては慣れるしかないのかな」ということに。原作の「反射的に動きそうになる」という説明は無い。
そして、未だに演技がしっくり来ない誉。
紬「うーん、まだ、感情と動きが合っていないというか…」
丞「難しく考えなくても、感情が理解できれば、自然とちょうどいい表現になるはずだ。」
丞のアドバイスにもいまいちピンと来ておらず、不安げな様子。人がたやすくできていることが、やはり自分には出来ないのだと思い込んでしまっているように見える。
稽古終了後、「ちょっと、アドバイスが欲しいのだが」と紬を呼び止める誉。紬は快くいいですよ、と返す。ここで誉は、以前書いたという小説の話を持ち出す。小説も書いてたんですか?と驚く紬。誉は、それに対し少し言葉を濁しつつ、エピソードを話し出す。
誉「…その小説に、人の感情を読み取ることがひどく下手な男が出てきてね。その男は、恋人が最も悲しい時に、詩を読んだ。男にとっては、恋人を慰めるつもりだった。しかし、その行為は彼女の傷をえぐる行為でしかなかった。そうして恋人は、男を軽蔑し、男のもとを去ってしまった…。」
紬「……切ないお話ですね。」
もちろん、この話は小説などではなく事実だが、誉は自分の事としては話そうとしない。紬は、その小説の男とみんな同じ、自分自身も、幼馴染みである丞の考えていることが全てわかるわけではないし、しょっちゅう怒らせていると言う。
「キミと丞くんですらかい?」と驚く誉。
誉にとって、相手のことを理解できる=深く繋がっているというイメージなのだろう。相手のことをきちんと理解できているか、それは誉に限らず、良好な人間関係を営む上で大切なことである。しかし、誰でも最初からそれができるわけではないし、どんなに仲が良くても、わからないことだってある。間違うことだってある。
しかし誉はその間違いを、自分が誰かを傷つけてしまったという経験として、ずっと抱えて生きてきてしまった。そしてそれが誉の場合、すれ違う回数が人よりも少しだけ多かったのだろうな、と思う。だから、「誰でも同じ」と言われても、単純には理解できなかったのだろう。
役者としての経験から、紬はアドバイスを続ける。
紬「鷺島が何を考えているかじゃなくて、誉さんなら何を考えるのか、何を感じるのか。誉さんなりの解釈でいいんですよ。誉さんが鷺島なんですから。」
誉「ワタシが、鷺島……。」
このやり取りを見るに、どうやら誉は「演じる役=一人の独立した人間」だと捉えている節が見受けられる。演じる自分が鷺島になるのだ、という理解ではなく、何回も繰り返している「鷺島がどう考えているのかを演じる」と捉えてしまっているために、一人の人間を感情ごと理解しなければいけない、そしてそれは自分にとって困難なことだと悩んでいたのだと思う。役を、キャラクターを、考えや感情を持つ存在として捉えている誉は、どんな相手をも尊重できるとても優しい人だと思う。
戸惑う誉を置いてどこかへ去る紬。戻ってきたその手には、小さな鉢植えがあった。
紬「ヒペリカムです。よかったらお供にどうぞ。……誉さん。今度の舞台、最高の公演にしましょうね!」
誉「ありがとう…。」
秋冬公演のまごころルーペの時も思ったが、私はステ紬の誉に対する接し方が好きだ。多分それは、誉のことをわからないもの扱いせずに、一歩踏み込んできてくれているような優しさを感じるからだと、今回のこのやりとりを見て思った。
誉「ワタシなりの解釈、か…。」
可愛らしい鉢植えを持って、神妙な顔でつぶやく誉。
この一連の田中くんの演技が素晴らしく、胸が締め付けられる想いだった。私は田中くんが演じる誉の、クルクルと変わっていく楽しそうな表情が好きなのだが、それとは裏腹に、今回は思いつめるシーンが多いため、そのギャップがよく現れていた。
紬がくれたこの花は、この公演以降も誉の心にずっと残っていたようで、原作の2年目のバースデーコメントでは、自ら紬にヒペリカムを要求していた。
ずっと抱えていた、大切な人を傷つけてしまった悲しみや後悔。他人に共感できないという苦悩。誉の心にある曇りが完全に晴れることを願うばかりだ。
部屋に戻った紬は、誉の作品の中に小説はあったか丞に確認するが、「いや、全部詩集だって言ってたぞ」と答えられ、「だよね。…ふふ、誉さんも不器用だなぁ。」と真相に気づき微笑む。(原作だと「ざっと目を通したが、全部詩集だったぞ」という台詞で、荷解きの際に渡された詩集全巻に律儀に目を通した丞、というほっこりする姿が見られる場面なのだがマイナーチェンジ。細かい部分だがちょっぴり残念。)
小説の主人公である"男"が、誉自身であることに薄々気づいていた紬。ということは、エーステ世界では誉にとってかなり重要なカミングアウトである元恋人との一悶着を間接的にでも知っているのは、実質紬だけということになる。
ふと目をやると、さっきから丞が机の上で何か作業をやっているが、慌てて隠そうとする。不穏なBGMとともに暗転。ドライバーなどを持っていたように見えるが果たして。
▼最終稽古の朝〜時計の在りか
誉「ワタシなりの解釈、か…。」
うむ!と何かを決意したかのように奮い立たせ、支配人や東に声をかける。
誉「始まりのモーニング、さわやかサワーセレナーデ、すこやかセボンシンフォニー!」
支「有栖川さん、すっかりいつもの調子が戻ったみたいですね!」
東「どうかな?ボクには無理をしてるように見えるけど…。」
冒頭で理解不能と歌っていたとは思えない理解っぷり。やはりああいう歌詞を歌わせるにしても、冬組じゃなくても良かったのではないかと思ってしまう。
みんなが集まると、紬は誉に話したいことがあると伝える。
丞「有栖川……これ。」
そう言って丞が渡したのは、修理した誉の懐中時計だった。
誉「これは!ワタシの懐中時計!キミが犯人だったのか!」
丞「あのなぁ…」
呆れて怒り出しそうな丞を制し、密がカミングアウトする。
密「ちがう。…持ってたのは、オレだよ。」
▼密の回想〜時計の行方
カチ、カチ、と逆戻りする針の映像と共に時間は過去へ遡る。
今回のこの時計の演出は、鍵となるモチーフを上手く使っているなと思った。
まず、場面はシトロン達が探偵ごっこをしていた時へ。
誉がシトロンとぶつかった時に時計を落としたこと、そしてそれに気づいていないのを実は見ていた密。
密「あれ?この時計、壊れてる。前から壊れてるって言ってたっけ……」
そのまま綴が時計を踏みそうになり、咄嗟に俊敏な動きで時計を拾い、「ごめん、転んだ」と転んだフリをしてごまかす。
密「後で渡そう…」
そうこうしているうちに稽古が始まり、時計がなくなった!と騒いでいる場面へ。
密「時計、返すの忘れてた。でも、いま返したら、オレが盗んだって思われる…。時計を壊したのも、オレだって思われるかも。」
この舞台版のモノローグはあまり密らしくないなぁと思った。密だったらあまりそういうことは気にせずに、何食わぬ顔で渡しそうなものだが。原作では、寝ていたので失くしたと騒いでいる場面にはいなかったことになっていた。
誉「あれはもともと、不要なものだから…。」
誉の言葉に、「…不要なもの?」と疑問に思う密。その意味を確かめるため、監督の部屋へ訪れる。
密は、あの時計は誉にとって必要なのか、要らないのか、本当は必要なものなら、どうして要らないと言うのかを監督に問う。監督は、なぜそう言うのかはわからないけど、本当に要らないならすぐ捨ててしまうと思う、時計を見つけてあげたいと言う。「なんで探すの?アリスの気持ちはわからないんでしょ?」という密に、監督は「相手の気持ちが正確に理解できなくても、誉さんの身になって考えることはできる(原作の台詞より)」と言う。
密「相手の気持ちがわからなくても、相手のことを思いやることはできる…?」
密が反芻したこの監督の言葉は、有栖川誉にとって重要なターニングポイントとなりえる非常に大切なワードである。
密「大切な人から貰ったものをなくしたら、オレはどう思う……?」
♪大切なもの
秋冬公演に続き、密ソロ。密のこういう心情描写と、「何かを忘れてしまった」というテーマは、舞台でかなり丁寧に掘り下げられているような印象がある。この頃の密は、自分が誰であるか、何を忘れてしまったのかにあまり頓着が無いイメージだったので、舞台ではそこが違うポイントだなと思う。事あるごとに「誰か」のことを示唆しているというか。
《寒い夜 あたたかい手のひら わからないはずなのに なぜだかわかる気がする》
原作では、’’監督に言われたことを頼りに、密自身が考えたゆえに行動を起こす’’となっていたのが、“忘れていた自分の経験と重ね合わせて行動している”ように見える。私は前者のほうが、密が自主性を持って動いてくれた感じがして好きだ。
そして、丞のところへ時計を持ってくる密。
こんな専門的なもの直せない、公演まで時間がないから無理だと断られるが、密は食い下がる。
密「今度の公演、これが無いとダメな気がする。最後のパーツだから…。」
実は、ここは原作の時間軸と大きく変更がされていて、原作では丞の「直すって…本番は明日だぞ?」という台詞からわかる通り、公演初日の前日に依頼されていたことがわかる。
舞台では、本番14日前の時点で頼まれていた。丞が稽古中に密をかばうような変な素振りを見せていたのはこのためだ。ある程度余裕をもって直せる状況にあったというのは現実的な改変かもしれない。
とは言っても、通常さわることがないような、年代物の(そして恐らくそれなりに高価な)懐中時計。この時の、“いい舞台を作るための頼みごとは断れない”という丞が好き。密が一生懸命、大好物のマシュマロをお礼にあげようとしても突っぱねるが、「その代わり、最高の芝居をしろ。」という丞。恐らく、密が誉のために、冬組のために、本気で頼んでいるのだということが伝わったのだろう。
そして、時は現在へ進む。
密「アリスの気持ちを想像した時、あれはなくしちゃいけないものだと思った。」
紬「でも、直しているなら、どうして言わなかったの?」
密「先に話して直らなかったら、アリスががっかりするかと思って。」
原作よりだいぶ相手への思いやりが感じられるる密。確かに、ステ誉のしょんぼり顔は、本当に悲しい気持ちになるので、切なくて、見たくない。密も似たような気持ちになったのかもしれない。
丞「でも、なんで直さなかったんだ?俺でも直せたんだから、店に持っていったら簡単に直っただろ」
誉「何度か直そうとは思ったのだ。しかし、直らなければ、本当に不要なものになってしまう。」
丞「直らなくても、本当に必要なものなら、不要なものではないだろ。それも天才の思考ってやつか?」
この台詞の言い方が、最初は嘲笑のような感じだったのが、最終日にかけて段々と優しい言い方になっていて、寄り添ってくれている……と思った。
東「誉の思考は極端だね。まぁ、そこが良いところなんだけど」
壊れたものは使えない。使えないので、要らない。そう思ってしまう誉だからこそ、「壊れた時計と同じ」と言われた時のショックは図り知れないものだっただろう。実際はそのような意味ではなかったのだが。
丞「そういえば、こんな彫刻が中に掘られてた。」
時計の中身を直に見るのではなく、舞台ではスマホで撮った写真を見せていて自然な改変だなと思った。しかし、丞がわざわざ見せるために写真を残しておいてくれるなんて……。
【 機械仕掛けの君に愛を込めて 栄 】
栄とは、誉の祖父の名前。すなわち、機械仕掛けの君というのは、冒頭の回想で出てきた誉の祖母のことだ。
誉「ワタシはおばあさまに、この壊れた時計と同じだと言われたのだ。だから、この時計は自分にはいらないものだからあげると言われたとき、ワタシのように壊れたものは、いらないと……言われた気がした。」
紬「……違いますよ。おばあさまはきっと、誉さんのことを要らないと言ったわけではないと思います。」
本来監督の台詞だが、紬が良いパスをしてくれている。誉のエピソードを全て知っているのは神の視点の私達観客だが、話をかいつまんで聞いただけでも、孫に対して「要らない」と言っていたわけではないことくらいわかるだろう。
誉「わからない、ワタシには人の気持ちが……」
密「相手の気持ちがわからなくても、相手の身になって考えることはできる。……カントクが言ってた。」
誉「……受け売りかね。」
やり取りは少しカットされているが、ここの田中くんの表情と言い回しが非常に素晴らしかった。焦っている時に、普段より含蓄深いことを言われた驚きと困惑、しかしそれが丸ごと人の言葉だったという、やれやれ、全く仕方がないねといった脱力感、密はやっぱり密だな、という安心感までもが声色に表れていた。
紬「芝居と同じですよ!考えてみてください。おばあさまが何を考えていたのか…。」
これは本来、元恋人に“壊れたサイボーグ”だと言われたことを知っている監督による助け舟だが、「芝居と同じ」というベクトルの発想を持たせることで何ら違和感のない言葉になっていてとても良かった。紬らしい考え方だし、リーダーとしての立ち回りとして良い効果を生んでいる。
誉「機械仕掛けの君………サイボーグ………」
うーんと考え、間を置いてハッと気づく誉。
誉「そうか…おばあさまも、この時計と同じだったのだ!不器用なおばあさまのことを、おじいさまは心底愛していた。その愛するおじいさまに貰ったものを、今度はワタシに託してくれた……」
勘違いされやすく、人の気持ちがわからない壊れたサイボーグだと言われた誉。機械仕掛けと評されるほどに、言葉少なで感情の発露が少ないおばあさま。2人は、ある意味似た者同士だったのだ。誉の、どこかずれている、ちぐはぐなパズルのような思考回路に、小さい頃からおばあさまは気付いていたのだろう。そして、そんな自分と似ている不器用な孫に、自分を愛してくれた人からの贈り物を授けた。
「不器用は家系だったんだね。」と東が誉の人間性のルーツを評価する。
この時計と有栖川家の話は、実によくできているエピソードだと思う。そして、カットされた以下の監督のモノローグが、時計の持つ更なる意味を非常に的確に表している。
(もしかしたら、誉さんにもおじいさんのような人を見つけてほしいと願っていたのかも……)
(ありのままを受け入れてくれて、愛してくれる人を……)
時間が狂ってしまう壊れた時計。それは、いつもおじいさまが直してくれていた。そして、おじいさまが亡くなってからは、時間がずれたままになってしまっている。それは、誉の祖母そのもののことでもあるのだろう。
ぶっきらぼうで可愛げのない、少しずれたところのある、ありのままの自分のことを理解し、心から愛してくれた人がいた。しかし、自分と似ている孫はどうだろうか。誰かに愛され、この時計のように、壊れていても、必要としてくれる人が現れるだろうか。
「壊れたものは要らない」と、人の心を無視してさっぱり切り捨ててしまう誉を見て、そんな懸念が、おばあさまにあったのだろう。そんなつもりはないのに、人に誤解されてしまう自分と重ねて。その上で、言葉が少ないために誉に苦手に思われ、誤解されたままだったのがまたやるせない話である。
事実、誉は、自分なりの気遣いが伝わらずに、恋人に別れを告げられている。そしていつしか、人と深く関わることに、心の奥では恐れを抱くようになった。自分のことを、人を傷つける欠陥品だと思いながら。それでも誉は周りの人を愛し、理解しようともがいてきた。
このエピソードを読んだとき、なんてもどかしく、苦しく、優しい話なのだろうと思った。誉にもおばあさまにも、そして、おじいさまにも、たまらなく愛おしさを感じた。
壊れた時計は使えない。しかし、全てにおいてそうではない。大切なのは、時計がその役割を果たすことだけではないのだということに、誉はやっと気づくことが出来たのだろう。
そして、そんな自分を受け入れてくれる人が、周りにいたのだということにも。
しかしだ。私は、舞台におけるここからの展開に疑問を残してしまっている。
誉「ありがとうみんな!遠回りしたが…!ワタシらしい鷺島をお見せできそうだ!」
密「やっと元のアリスに戻った。最近はいつも考え込んでて難しい顔してて、アリスらしくなかった。」
誉「時計を直してくれるキミも、キミらしくないよ。」
密「アリスも、好き勝手に詩を読む鷺島の方がアリスらしい。」
誉「詩を詠めばいいのかね?」
密「それはいらない。」
誉「なっ……!でも、執事を振り回す志岐の方が、キミらしい。」
この、「誉らしい」「密らしい」、そして「ワタシらしい」という言葉。これは、ばっさりカットされてしまったある場面を抜粋したものになっている。
原作では、誉が紬に相談し花をもらった後、考え込んだまま中庭で眠ってしまい、祖父の夢を見るというシーンがある。
そこに密がやってきて、誉にブランケットをかけてくれるのだ。
起きた誉に密が声をかけて、以下のやり取りがある。
密「……変なの。最近のアリス、たまにアリスじゃない。いつも考え込んでるし、こんなところで一人で寝てる。」
誉「キミにだけは言われたくないね。それを言うなら、ブランケットをかけてくれるキミもキミらしくないよ。執事を振り回す志岐の方がキミらしい。」
密「アリスだって、好き勝手に詩を読む鷺島の方がアリスらしい。」
誉「詩を詠めばいいのかね?」
密「それはいらない。」
誉「冗談だよ。」
密「それに、アリスはいつもオレの後ろに立ってマシュマロをくれないと。」
誉「そういえば、そうだったね。」
この「こんなところで一人で寝てる」という台詞を、いつでもどこでも好き勝手に寝ている密に言われていることや、あまり誰かの世話を焼かない気ままな密が気遣いを見せているという指摘から、誉が普段とは違う様子なのだということがよくわかるシーンだ。
そして、誉は鷺島と同じように、普段、自分がどのような気持ちで密の世話をしているかということに、密かの「いつもオレの後ろに立って~」という言葉で気付く。こうして、何気ない日々の中から、自分らしい役作りのきっかけをつかむのだ。
このシーンが別の場所に挿入されることで意味が変わり、上記の「時計に込められた意味がわかった」という点は、「相手の立場になって考える」ことへの気づきではあるが、いまいち’’誉らしい’’鷺島の心情に近づく直接的な理由にはなっていないような気がする。この中庭で密とのやり取りが無くなったのは、大事な部分が抜け落ちてしまったように感じた。
さらに舞台では、密の変な動きの件も、唐突にここで挟まってくる。
密「あれは時計とは関係ない。ただの癖。でも、もう慣れたから。だって……アリスはいつもオレの後ろに立ってマシュマロくれないと。」
本来、密が変な動きをするのは「後ろに立たれると反射的に動きそうになる」というもので、過去に原因があるのかもしれないという判断材料であった。
それが、劇中では、あたかも誉に隠し事をしているのが理由であるかのように、ミスリードを狙っていたように見えた。まあ、原作を読んでいればそんなことは何の意味も為さないのだが、舞台の構成としても、そのように見せる意味はあまり無かったのではないか…と思ってしまう。
更にはそれを「誉がいつも後ろに立っているから慣れた」という解決方法でまとめてしまっている。本来ならば、「いつもオレの後ろに立って、マシュマロくれないと。」という台詞は、誉にとって自分らしい鷺島を捉えるためのきっかけだった。その役目を無くした意味が、私にはあまりピンと来ない。
秋冬公演から、舞台では既に散々誉が後ろに立ってしまっているので、そういう見せ方をするしかなかったのだろうか。
ただ、誉の前に立って「マシュマロくれないと」と言い、安心したような顔で振り向きながら、ゆっくり瞬きをして誉を見つめる密の表情と、肩に手を乗せて顔を覗き込む誉はとても可愛らしく、じーんと来た。そんな見せ方があるのか…!と思った。
いよいよ本番直前。緞帳が閉まっており、ステージにサポート組が出てくる。
ここの日替わりでは、シトロンと一成がまだ時計を探してくれていたり、綴を犯人に仕立て上げていたりしていた。毎回非常に面白く、たくさん笑わせてくれた。今回のサポート組のメンツは個人的に大好きだし、バランスも良かったと思う。
一「やっぱ俺たち、探偵向いてないんじゃね?」
シ「やっぱりミステリーは、やるより観る方がいいネ!ワタシ、最高に面白いミステリーが観たいヨ!」
臣「それなら今から観られるだろ。冬組が送る、最高のミステリー。」
シ「オ~!楽しみネ~!」
ブザーが鳴り、いよいよ本番の幕が開く。
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