「ブレス」の発売から早1ヶ月、「みんなの物語」からはそれ以上経ってしまいましたが、ようやく感想をまとめようと思います。
私は「みんなの物語」を映画館で3回見たのですが(こんなに観る予定ではなかった)、観れば観るほど面白い場所が見つかり、そして聴けば聴くほどブレスは素晴らしい曲だと気付かされる。
ブレスについて既にたくさんの感想を書かれてる方がいるので、私は曲自体の感想ではなく、「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」の主題歌としてあるブレスの歌詞について少し考えてみました。
もちろんポルノの曲としても近年あまりなかった「ギフト」の系統で、それに匹敵する名曲だと思っていますが、いかにこの曲が映画に寄り添っているかをフューチャーしてみたいと思ったので。
なので映画を観た人向けの文章になっていることをご了承ください。
1. ただの「応援ソング」ではない
ポジティブな言葉で溢れているヒットチャート
頼んでもないのにやたら背中を押す
ポケットモンスターというコンテンツは、現在メインターゲットは一応子どもたちということで一貫しているが、子どもの頃から見ていた大人、子どもを連れて行くポケモンを通って来なかった親たちもいる。およそ子ども向け作品の主題歌にしては尖りすぎているこの歌詞こそ、「ただのポップソングにしたくない」という趣旨の現れ。
君はもう十分 頑張っているのだけど
知らない間に急かされてる 何か変えろと迫られ
「がんばれがんばれ」と言うだけのメッセージソングに対してのアンチテーゼとも言えるし、本作「みんなの物語」は、変わりたくても変われない、小さな苦悩を持った人が中心となって話が進んでいく。
見栄を張るためにウソをつき続ける男、カガチ。
才能があるのに人見知りで気弱すぎる青年、トリト。
走ることを恐れ一歩踏み出せない女子高生、リサ。
失う悲しみを背負いポケモンを毛嫌いする老人、ヒスイ。
そして、ゼラオラの存在を守るため一人奮闘する少女、ラルゴ。
老若男女、それぞれ様々なテーマを抱えて、それをどう乗り越えていくのか。
誰しもが持っている「負」の部分に対し、次の歌詞はこう問うている。
今のままじゃダメかい? 未来は早足でなきゃ
たどり着けないもんかい? ネガティブだって君の大事なカケラ
壮大な旅の途中さ
ここで気に留めたいのが「今のままじゃダメかい?」と問いかけ形式であること。
「今のままでいいよ」とは決して言っていない。ダメかどうか、進むか止まるかは己で決めろ。そういうメッセージが込められているように感じる。
ネガティブな部分を肯定し、その上でそれを強みに変えるのか、または向き合って立ち向かうのか、それぞれの答えが映画の中でも見えてくる。そして自分にとってはネガティブな部分が他人に良い影響を与えることだってあるのだ。
また、「旅」というフレーズも、ポルノは良く使いがちだけどもポケットモンスターには欠かせないキーワードになっていて、ファンとしては素敵なエッセンスになっていると感じる。
2.「ありのまま」であることの難しさ
サビはこのようなフレーズで始まる。
ありのまま 君のままでいいんじゃない カッコつけずに声にすれば響いていく
聞いたことあるような名言に 知らない間にすり替わらないうちに
名曲にはならなくても たったひとつのyour song
作中の中でも、一際「ありのまま」を体現している人物がいる。
それが、ポケットモンスターの主人公サトシである。
しかし今回の物語においてのサトシは、絶対的なヒーローめいた存在ではなく、あくまで一人の旅人としてフウラシティに現れた一人の少年、という位置づけだった。
そのサトシの真っ直ぐな気持ち、真っ直ぐな言葉が、人々の心を動かしていく。
「ゲットだぜ!」も「キミに決めた!」も、『聞いたことあるような名言』である。
しかし、それは本来サトシだけの言葉。サトシが言うから響くのである。
どんな名言も格言も元は誰かのつぶやきだった。
そこにどれだけオリジナルがあるか。「自分」という要素がどれだけ入っているか。他人の言葉を借りずに自分の言葉で、正直に伝えることは案外難しい。
それは例えば、リツイートやネットで拡散することで簡単に自分の気持ちを代弁してもらったかのような気分になれる現代だからこそ、子ども達に響いてほしいメッセージでもあるように私は感じた。
そして『名曲にはならなくても』という部分。
いくら自分の言葉で完成させても、決して誰かに必ず伝わるわけではないかもしれない、だけど、誰かの言葉を真似しているだけでは何も変わらない。
例えば本作におけるトリトの発表。あれをカガチに任せていたら絶対に成功したと言えるのだろうか?
格好が悪くたっていいから、自分の言葉で紡ぐことが大切なのだと私は思う。
今作でサトシが新たに放った「ポケモンパワーだ!」という言葉。
思わずリサも「何よポケモンパワーって…」と吹き出してしまうような、決してカッコいいとは言えないそこはかとなくダサい台詞も『カッコつけずに』サトシが言うから真っ直ぐに届く。「ポケモンと一緒なら、なんだってできる、力が湧いてくるんだ」と本気で思っているからこそ、人々の心を動かしたのだ。
少し話は逸れるが、私は「ありのまま 君のまま」というフレーズを聞いて、サトシの手持ちポケモンであるピカチュウ、そしてかつて仲間であったフシギダネ、現在手持ちに加えているイワンコ(ルガルガン)のことを思い出した。
「進化したくない」「様々な進化先がある」という、ポケモンが持つ願い。
同じ種類のポケモンにだって個性がある。それらを肯定して丸ごと愛してあげられるのが、良きトレーナー、良きパートナー。
アニメのポケモンをずっと見てきた自分にとって、数々のエピソードを思い起こさせるフレーズだった。
3.自分の足で進むことの大切さ
気分次第で行こう 未来はただそこにあって
君のこと待ってる 小難しい条件 つけたりはしない
迎えにも来ないけど
「未来は向こうからやってくるわけではない」という、新藤晴一が常に示している考えがここに大きく表れている。
誰かが運んでくれるわけでもない。未来へ進むのは自分の力。自分の意志。
「自分のことは自分でなんとかしろ」というのが大きな主張だけれど、その気持ちをそっと後押ししてくれる歌詞がある。
ブレスは応援歌ではなく、歩き出せるようにそっと風を吹かせるだけの曲なのだ。
「未来へ行こう」ではなく「未来が待っている」。
そこにどうやって辿り着くかは人それぞれなのである。
2番サビもまた尖った言葉から始まる。
簡単に語るんじゃない 夢を わかろうとしない 他人がほら笑っている
簡単に重ねるんじゃない 君を すぐに変わっていくヒットチャートになんか
君は君のままでずっと 行くんだから Far away
これもまた、夢多き少年少女には厳しいフレーズが並んでいる。
ただ勘違いしてはいけないのは、冒頭でこうも言っていること。
カッコつけずに声にすれば響いていく
夢を語るなとは言っていない。夢を語ることは恥ずべきことではないということ。
自分の中にあるものに嘘をついて薄っぺらなものにしないように。
カッコつけずに大きな声で夢を語る人物と言えば。
『夢はポケモンマスターになること!』
実はポケットモンスターという作品において「ポケモンマスター」という職は一切登場していない。あくまでサトシの造語であり、実の所サトシにもまだ明確な役割などはつかめていない描写も見られる。
ただ、そこには確固たるサトシの意志があり、誰かの言葉を借りているわけでもない。
君は君のままでずっと行くんだから
このフレーズも、優しい言葉のようでありながら、厳しい現実味を含んでいる。
改めて晴一の映画に対するコメントを見てみたい。
人間も、ポケモンたちの’’進化’’みたいに、劇的に姿や形を変えられたらいいのだけど、そうもいかず今の自分を奮い立たせるしかない。
「自分」は「自分」でしかなく、それ以外の何物にもなれない。
ただそれを嘆くのではなく、受け入れて共に歩むこと。
それが次のフレーズでも繰り返し主張されている。
少年には遠回りする時間が与えられ
老人には近道をする知恵が授けられて
どちらかを笑うことなかれ 羨むことなかれ
それぞれの道がある 誰も君の道は行けない
この場合、『少年』とは「未熟な者」のメタファーである。
例えばゼラオラを守ろうとした少女ラルゴも、幼い知恵で解決策を見出すのに精一杯で、聖火を盗み、結果街や人に多大な迷惑をかけてしまう。
この映画の登場人物は、老若男女問わず誰しもが遠回りをしてしまっていた。
例えば、老女であるヒスイが大切な存在であるブルーを失った悲しみから、二度とポケモンには関わらないという結論に達してしまったように。
ただ、その遠回りをしたからこそもたらされた出会い、迷っていた者が惹きあって起こした力が随所に見られた。今回のストーリーは、群像劇ものとしてもかなり秀逸に綺麗に伏線などが回収されていくので、非常にわかりやすいし面白かった。
めずらしく「人」にフューチャーされている話でもあるので、より自分を重ねられる人が見る側の気持ちで変わってくるのではないかなと思った。
4.「君」と「みんな」
「ありのまま 君のまま」
「君は君のまま」
「誰も君の道は行けない」
ここまで、「みんなの物語」なのに、やたら『君』というフレーズが多いことに気付く。
しかし、ラストの展開でそれは大きく変わっていく。
メロディは音符と休符が作る ブレスのできない歌は誰も歌えやしない
歌える音符の長さは人それぞれ。それぞれのタイミングで呼吸をしないと息が苦しくなってしまう。それは人生における休息も同じ意味を持つ。
ここで、初めて『誰も』という、全体に遡及する言葉が出てくる。
更に歌詞はこう続く。
晴れた日も雨の日もあるように 朝と夜が今日も巡ってくように
出会いとさよなら繰り返す 旅人のように
「晴れと雨」も、「朝と夜」も、「出会いと別れ」も、『君』だけに訪れるものではなく、『みんな』に訪れるもの。
『君』も『みんな』のうちの一人であり、そして『みんな』はたくさんの『君』が集まってできているもの。
人はそれぞれ人生と言う名の旅をしている旅人であり、その旅人が出会って生まれた物語が「みんなの物語」であると私は感じた。
ポルノの別の曲、「音のない森」にもこんなフレーズがある。
旅は未来と言う名の終わりないものだった
気がつけばそこにいくつもの足跡 誰もが通りゆく場所なんだろう
迎えには来ない未来へ歩き出すとき、悩んで立ち止まることもある。
見渡せば、同じように悩み急かされ、変わろうとしている人がいる。
そして人々が暮らす世界には「ポケモン」という、様々な個性を持った生き物がいる。
小さな出会いが大きな力になり、それぞれが自分の意志とポケモンの力で成長していく。「みんなの物語」とはそういう話だった。
「ブレス」とは、背中を押すそよ風であり、人生の呼吸であり、生命の息吹でもあるというトリプルミーニング。そして、私はさらにスペルは違うが「恵み」という意味も込めて良いのではないかと感じた。
ルギアから贈られる「恵み」の「風」を受け取り生きる「命」。舌を巻くタイトルである。
そして最後のコーラス。昭仁の声に混ざり大勢の人が加わり壮大なコーラスになったあと、フッと昭仁の声だけになり終わる。
この場所と、最後のエンドロールでサトシが一人になるシーンがシンクロしているのだ。
実は、音楽ナタリーさんの記事(https://natalie.mu/music/pp/pornograffitti04)において、映画のスタッフ側から「エンドロールのアニメは曲を聴いてから描きたい」という要望があったという話が出ている。
最後の部分だけでなく、例えば「ありのまま 君のままでいいんじゃない」という歌詞で、自分で発表に臨むトリトと見守るカガチの絵が。
「わかろうとしない 他人がほら笑っている」で、ゼラオラのことを信じてもらうために奮闘したラルゴの絵が。
「老人には近道を知る術が授けられて」という部分には、老人であるヒスイの絵が。
これらは意図的なものなのではないかと私は感じたし、そして最後に『みんな』からまた一人の『君』へ。
曲の構成と、映画の構成がぴったりリンクしているように感じる。それは映画の最後に流れるテーマとして、人の心により鮮明な思い出として刻まれる仕掛けにもなっているんじゃないかなと私は思う。
今回、ポケモンのタイアップということで、歌詞については相当悩んだと言うが、ポケモンにまつわる言葉を入れてみたり、なんなら「ゲットだぜ!」というフレーズも入れてみたりしたのだとか。
だけど、あえてそこからは離れて、ポルノとしてのメッセージ、独自のアプローチをしたおかげで、より一層素晴らしいものになったのではないかと私は感じる。
ブレスは絶対に「みんなの物語」の主題歌としてふさわしいし、「みんなの物語」がなければブレスは生まれなかった。
今回のタイアップがあって本当に良かったと思っているし、できればもう一度、映画を観た人も改めてストーリーとの親和性を感じてほしい。
私ももう一度最後に観にいくつもりです。映画の音響で歌声を聴けることもそうそうないので。
「ブレス」がより多くの人の心に届きますように。